20 March

雪まろげ 

<卜部ちゃん修行中の話無駄に長いだけ>





もう、弟子入りしてどれくらいたつだろう?


春も近いころ、比叡山からのびる茜色と灰色
が混じった雲を遠くに眺めながらふと思った。
少女の面差しから成人の女になりつつある卜部
は陰陽寮の門を出て美福門をくぐると壬生大路
に出て帰路にむかった。

まだ陽のあるうちは一人でも歩ける。
京の都の大路を小気味よい歩幅で歩いた。袿を
壷折りし足首までたくしあげ壺装束の地味な
かつぎで身をすっぽり覆い、いかにも身分の
低そうな女を演出している。
高価な装束ではどんな危険があるかわからない。
貴族の娘を狙う犯罪が横行しているのだ。

卜部は弟子入りしてからずっと長い袴着や
裳裾、ましてやかさね単(ひとえ)や
唐ごろもなど縁がなかった。
陰陽寮で男子と対等に学び働くには無駄に
着飾る必要などなかったからだ。
動き易い地味な旅装束を愛用し、時には庶民
の女のように一枚布の単(ひとえ)に湯巻きを
まいて薬草を庭で育てたり薬草を調合したり
した。しかし、もともとの器量良しむしろ質
素な衣裳がその容貌をひきたてていたこと
など本人はしるよしもなく。

賀茂派の流れをくむ卜部家。

晴明に弟子入りした卜部は父から「勘当」
されていた。しかし、年頃の娘を放り出す
わけにもいかず、家族とは会わない条件で
屋敷の隅の小さな離れに住んでいた。
卜部はそのことを守り、火をおこすこと、
水を汲むこと、衣類の綻びをなおすことなど
今まで「姫」として丁重にされてきたが最低
限自分のやれることは自分でおこなった。
下級とはいえおおよそ貴族の娘らしからぬ、
と他の貴族らは皆眉をひそめた。
器量良しなのに勿体ない、どこか良い公達
の玉の輿にのるか、知性を活かすなら宮中に
上がり姫君たちの教育のためにお仕えするの
もよいのではとも言われたが、父から男名を
賜り、なによりも尊敬する晴明の元で修行で
きることを至福としていた卜部にとってはこ
れ以上の選択肢はなかった。

沢山の書物、天井からは薬となる草や花が干
されてつってある。中には普通の貴族の娘な
らきゃあと逃げ出すような爬虫類の乾物、旅
人から分けてもらったり市で入手した色々な
鉱石の類が棚に並んでいる。
他にも薬鉢や珍しい天秤、唐から伝わった星
の運行を描いた天図を模した紙をはりつけた
屏風。ほの明かりの下それらは明滅し卜部の
「城」を形作っていた。


小さな竃に火をおこし、粥が炊けるまでの間、
唐から取り寄せた書物を取りだし灯明に火を
灯すと飽きもせず、書物に没頭した。



同僚である貴族の男たちは、何処の高貴な
女人を口説いたとか、大臣や大納言の宴席に
招かれたとかそんなことばかりに関心をもち、
卜部を「薬臭い娘」と鼻から小馬鹿にしていた。
卜部はそんなことはどうでもよかった。
彼女は1日でも早く、晴明様のお役に立ちたい、
世の中の沢山の知らない不思議を知りたい、
あの草や花はなぜ時がくると咲くのか。
あの虫はなぜあのような習性があるのだろう?
星や月の動きと人の運命との関わりの真の関
連性はあるのか?星や月とはなんだろう?
何故夜空に輝くのか?なぜ満ち欠けするのか?
尽きぬほど不思議は沢山あった。

なによりも、時々、晴明と問答をすることが
わくわくした。
滅多に会うことも出来ない尊敬する師匠。
普段は自邸の奥にこもって祈祷していたり
するらしく姿をみせない。

会うことが出来ても広い間の遠く離れた場所
に対峙して座り、ほの暗い部屋の中では不気
味な面だけが浮かびあがり離れているのに
存在感が圧倒的であった。嗄れた翁の声で
難題が繰り出される。

卜部は紙に回答を書くと、晴明の陰のほう
から童女が現れ、その紙を盆にのせ音もなく
運んでいく。

晴明が墨の筆跡をたどるように紙面を指で
滑らす。童女松虫が小さな手で晴明の手を
握りなにか伝えている。
二人だけで心が通じているようないつもの
仕草だ。

あの二人の間には何か深い秘密がある。

その姿をみるとひどく妬ましい気持ちに
なるのは何故だろう?
晴明は目の不自由な翁ではないか?
松虫はそれを手伝っているに過ぎない童
(わらべ)だ。


そう言えば、
あの子は何故成長しないのだろう?

自分が弟子入りを決意したときから全く姿が
かわっていない。背の高さから髪の長さまで
出合った頃と変化がない。
一見すると愛らしい姿だが、時々、卜部の心
を見透かすような松虫の瞳に困惑する。
いつも晴明のそばにいるようだが気配を感じ
ない。やはり、人が噂するように、「式」な
のかもしれない。

・・・この子は晴明様の素顔を知っている。
いや、私の知らない晴明様の「全て」知って
いる。

卜部はいわゆる「女の直感」でそれを感じて
いた。

______だからってどうなのだ?

一言も口をきけない幼い娘に妬ましい気持ち
を抱く自分をひどくあさましく醜いものに
思え、その気持ちは心の底に閉じ込めた。
自分は修行に専念しよう、それが自分のため
であり師のためなのだ。卜部は心が揺れるた
びにそうやって自分を引き戻していた。


ある日の午後、陽がかげり始めたころ、晴明
邸に宮から使いがきていた。
卜部はたまたま借りていた書物を晴明の屋敷
に返却にきていたところだった。なんでも
更衣の一人が発熱で苦しんでいるらしい。
晴明を取り次いでほしいと使いの役人が急き
立てたが、晴明は<奥の間で大切な祈祷をし
ているから一歩も動くことができない。>
と、松虫に託した文に書いてあった。それを
見て、血気盛んな青年の使いの役人が癇癪を
起こした。「更衣様は、内大臣の姪にあたる
お方ぞ!なんと心得る!無礼な!」
松虫の手から受け取った文を引きちぎると、
床に投げ捨て「その奥に晴明がおるのだろ
う!」と奥の間に行こうとした。
松虫が行く手を遮るように前に出て精一杯
手をひろげた。
「どけ!小娘!」
松虫は無言で睨みつけている。
小さな肩に武骨な手がかかる。
「・・・・。」
松虫はそれでも小さな足で床を踏みしめ動こ
うとはしない。瞳は一点をみつめ、
口はきゅっと結ばれている。
「生意気なわっぱじゃ!」
使いの者の平手が上がり松虫をはねたたこう
としたその時、「おやめください!」卜部は
自分でもびっくりするような大声で叫んだ。
「事情はよくわかりました。更衣様のお苦し
みもわかりました。でも、幼い童(わらわ)に
お手をあげてまで更衣様のような貴いお方が
およろこびになるとは思えません!」
使いの者は手をおろし、地味ななりの卜部を
しげしげ見た。
「なんだ?おまえは?雜仕女ならひっこんで
いろ。」「わたくしは卜部季武、賀茂派の
卜部家の娘でございます。」
「卜部?・・・・ああ、親に勘当されて安倍
についた親不孝で奇妙な娘がいると聞いてい
たが、お前のことか。」卜部は震える声で
「まず、お話を伺いましょう。師である晴明
様は大切な祈祷に入っておられます。
今、中断されれば都ひいては内裏の平安が乱
れましょう。更衣様のお加減も一層悪くなる
かもしれません、ここは穏便にどうぞ御願い
申し上げいたします。」と、床にひれ伏し頭
を下げた。その姿に使いの者も松虫から手を
離した。とうの松虫はまるで他人事のようい
つも通りの瞬きをしない瞳で静かに卜部を見
つめていた。
「・・・・。典薬寮の薬も効かぬ、これは
もののけのしわざじゃ、だから、晴明を連れ
てくるようにとご命令じゃ!」
青年は肩を落とし先ほどの勢いも急に失い
絶望の中にいる口調で言った。
・・・・この時代、病や不幸はすべてものの
けの仕業だった。卜部は口にはうっかりだせ
ないが、本当にそうなのだろうか?きちんと
対処すれば、人の力でもできることがあるの
ではないだろうか?
薬草を扱う宮の典薬寮(てんやくりょう)
でもまだまだ発展途上で試行錯誤していた。
唐にわたり陰陽五行に基づくことを学んで
きた晴明ならどうするだろう?
「わたくしがなんとかいたしましょう。」
思わぬ言葉が口をついて出て来た。
もう、後悔してもしかたがない。
「なんと!そなたは修行中ではないか!
もしも、治らなかったら、お前も晴明殿も
只ではすまぬぞ?!」


《晴明様は奥の間にはいらっしゃらない
だろう。》

卜部はうっすらそんな気がしていた。
ただ、不在の理由はおそらく彼のやむを得な
い事情なのだろう。

ふと、松虫と目があった。
しかし彼女は卜部に目を会わすとふいっとす
ぐにそらした。

(心を読まれた?)

「まず、更衣様の容態を教えてください。」
「ひどく熱に浮かされている。食も細く、
もともとお体が弱い方なのだ。吾は奥にはい
ることができぬが、噂ではある女御がたいそ
う嫉妬深く、帝のご寵愛を引き留めたいらし
い。入内したばかりですぐにご寵愛にあった
若くか細い梅壺の更衣様は心労耐えず嘆き暮
らしている・・と、女房としてお仕えしてる
姉からの話だ。」

本当は彼女に会いちゃんとした病状を知りた
かった。しかし、自分の身分では後宮には
あがることなどできず、こうしてあてになる
かならないかの話を間接的に聞くのが精一杯
だった。

「女御の嫉妬が悪霊をよびよせ祟っておるの
じゃ、古女狐め!」青年は吐き捨てるように
言った。ぎょっとするような暴言に廻りを思
わず見回した。「あなたは中大臣様のご親戚
のお方なのですか?」「吾は代々中大臣様の
姪の梅壺の更衣様のご実家にお仕えするもの
の家。幼き頃より姫である梅壺の更衣様から
はひとかたならぬご慈愛を賜った・・。」
よくよくみると・・青年かと思ったら、
まだあどけない少年の面影をもつ自分とさほ
どかわらぬ武官だった。元服してまもないの
かもしれない。なるほど先ほどの短絡的な行
動は若さゆえか・・。

卜部は数少ない情報からいろいろな糸口を
探していた。
「どうじゃ?呪い返しの祈祷はできるか?」
「・・・・・。」
はっきりした証拠もないのに呪い返しもな
にもできない・・。

卜部は目をつむり状況を想像してみた。
嘆き苦しまなければならぬ日々。
一見華麗にみえるが一皮むけば悪口と噂話
だらけの環境。実家は・・名誉のために
「お世継ぎ」をと圧力をかける。
常に帝の愛を求め続けなければならない。
逃げ場のない世界・・それが後宮。

卜部は想像しただけで「ふうっ」とうんざり
した。むしろ自分が高貴な姫君に生まれなか
ったことさえ感謝した。

《気が滞るわ・・・。》

ふと・・松虫と再び目があった。
大きな瞳は何か訴えているような気がした。

《私もそういえば・・あの子を妬ましく思う
ことがある。嫉妬は受けても、嫉妬する方に
も気脈を大きく乱す良くない力が働く・・・。》

「わかりました。呪い返しとやらは証拠もなく
できません。むしろもしもそんなことをしたこ
とがばれてしまったら更衣様のお立場がよけい
悪くなるだけです。」卜部はきっぱりと答えた。
その聡明な回答に若い役人は言葉を失った。

「おそらく気脈が大きく乱れ、もともとお体が
弱く陰の気が勝ちすぎている更衣様のお体の負
担になったのでしょう。体の中にある病を跳ね
返すお力が大きな気の乱れで弱ったのでしょう。」
気の乱れはいまでいう「抵抗力の衰え」である。

気の弱りを高める方薬・・となにか・・未知の
部分・・そう、それが祈祷の部分だ。自分には
晴明のように強い霊力的な未知的の力などない。
なんとかよい星の導きにのればよいのだが・・。

まずは、更衣様の熱をさげてお気持ちを安らか
にしなければ。

卜部は「わかりました、悪い気から更衣様を
お守りする札をお作りいたします。
しばらく、時をいただけますか?お薬ととも
に御所にお持ちいたします。」

「一刻も早くたのむ!俺は宮中警護の仕事も
ある。酉の刻すぎに建礼門前で待っていよう。」

卜部は青年がでていくのを見送ると、
あとは数少ない情報から答えを導いていかな
ければなかった。


まずは、自らの心を静めなければ。

気がつくと背後に松虫が立っていた。
袖を引っ張り、屋敷の一室に連れていこうと
しているらしい。

塗りごめの部屋。

小さな机に、螺鈿の燈台。
紙や硯のある厨子、きん、と身が引き締ま
る薫りのする香木を焚き染めた部屋、全体
的に「浄められている」空気がわかった。


ここで作業を行えということか。

さらにきちんとたたまれた白い単に白い切袴
をわたされた。松虫が指差した方向に清水の
わく井戸があり高い衝立がある。

ます、御祓(みそぎ)を行えということか。

卜部は松虫のあとについて御祓場へむかった。
清水は岩から湧き出して樋をつたい石で
囲った浅い池に流れている。
そばに水を汲むちいさな盥があった。
松虫が衝立の外で白い麻布をもち従っていた。

卜部は単一枚になると春先まだ浅い頃の清水
をかぶり、身震いすると突然頭がすうっと開
けるように思えた。
それから四方の方神への祈祷を口にしながら
一心に水をかぶった。

松虫から麻布をうけとり身をぬぐうと用意さ
れた新しい白い単と白い切り袴に着替える。
松虫は手際よく卜部を手伝う。袴の帯をき
つくしめるときりっと身が引き締まった。

塗り込めの部屋で香をたきしめ、祈祷をしな
がら今度は心を清める。

細い燈心がゆれて、漆喰の壁に光のさざ波が
幾重にもできた・・・。
木葉ずれの音がわずかに聞こえるだけ。
机に向かい、「気」を浄化する護符を一心
不乱に拵えた。
-------------------------護符ができた。

卜部は筆をおくと目を閉じてさらに深く祈祷
した。ふと・・師匠である晴明がともにそば
にいてともに祈ってくれているような気がし
た。


黄昏時をはるかにすぎ、あとは薬の調合だ。


とたんにぐうっとお腹がなった。
護符を作り終えてすこしほっとしたのだろう。
こんなときにも体は正直に要求する。

しかし、薬を用意しなければ。
いけない!気がたるんでしまった!
と卜部は目をつぶり頬を両手でぱしぱし叩く。

そのとき、外でカタリと音がした。
木戸をあけると松虫が熱い白湯と椿餅と
藻塩の小皿を膳にのせもって立っていた。

「私に?」

松虫はこくりと頷いた。

「ありがとう。」

受けとると松虫は静かに廊下の闇にきえて
いった。

餅は噛み締めると椿の葉の香と蒸した糯米の
優しい自然の甘さがひろがった。藻塩をひと
なめするとさらに甘さが引き立った。
ただの白湯かと思ったらほんのりとろみが
あってかすかな甘味。
これは葛に貴重なアマヅラをくわえている
のかも。そして安らぐような芳香、もしか
して、これは橘の皮?
須恵器の肌あいを通して両手にじんわり温
もりを感じた。

体の中に炎が灯った感じがしてゆっくりと
元気が湧いてきた。・・・・・温かい・・。

ふと、

こういうぬくもりのかけらを更衣様が感じる
時があるならお心が救われるのに、と思いが
よぎった。まずは傷ついているお心を温めて
さしあげれば気がよい方にながれて陽の気と
の均衡がとれるにちがいない・・と。
あとは体力の回復を・・。宮には高い滋養の
あるものが入手してあるだろうからそこはお
任せしよう。

卜部は紙に必要な薬草をいくつか書きだした。
「葛の根、麻黄・・・紅の花・・蒲公英・・・」
それと石の鉢と乳棒。

木戸を開けると松虫が正座していた。

《あ・・呼ぼうかと思ったのに・・。》

「あ・・あの・・・、これを用意できる・・
かしら?」麻黄は大陸から入ってきたものが
あればよいのだが・・。松虫は紙を受け取り
黙読するとこくんと頷いてまた廊下の闇に
消えて行った。

しばらく待っていると、盆の上に頼んだ
薬草が全部そろっていた。
いつのまにか大きな石の鉢まで足元に
置いてあった。小さな体でこんな重た
いものをどうやって??

卜部は一刻も無駄にはできない、お礼もそこ
そこにさっそく調合に取り掛かった・・。
渡された薬草はどれも質のよいものばかり
だった。分量ごと、丹念に鉢で細かくすり
つぶし、紙に包んだ。

出来上がったころはもうとっぷりと闇の帳が
おりていて約束の時間までにはどうしても
この闇の中を行かなければならなかった。

《どうしよう・・すっかりそのことを忘れて
いたわ。》

いつもの壺装束に着替え、かつぎをかぶって
も暗い大路はやはり恐ろしい。男でさえ独り
歩きすれば物取りに狙われるのだ。
盗賊は命を奪ってさらに身ぐるみはいで死体
を大路にころがす・・・・・・そういう話は
よく聞いた。

月明かりの下、門の下で戸惑っていると、
いつのまにか松虫がそばに立っていた。
一枚の紙を渡すとそこには師匠である晴明の
筆跡で「守護するもの也」と書いてあった。

何のことだろう?と首を傾げた。

え?

両脇に気配を感じた・・すると・・・!
見上げるほどの大男の武人が二人、鉄弓と
大きな刀を携えて立っていた。
松虫のほうにふりむくと彼女は軽く目で頷い
た。

《私を・・守ってくれる・・の。》

大男の武人は無表情に卜部をはさむように宮
に向かって歩きだした。
鉄兜が卜部のもつ松明に鈍い光をはなつ。
瞳は鋭く・・恐ろしい。
《晴明様の「式」・・・なのね??》
こんな恐ろしげな武人がともに歩いてくれる
のでさすがに盗賊も狙ってはこなかった。

無事に内裏の建礼門につくと安堵した。
ありがとうと礼を言いたかったのに二人
の武人はいつの間にか消えていた。

内裏の門の前では昼間に出会ったあの青年
がいた。「おお、待っていたぞ!」
「あなたが晴明殿のお弟子さんですね。」
青年の背後から一人の女房が現れた。
どうやらこの青年の姉のようだ。
「弟から話は聞いておりますわ。さあ、
こちらへ。」健礼門より裏手の門へまわり、
内裏の中へ初めて足を踏み入れる。

白い玉砂利の道が女房のもつ手燭の焔で
妖しく輝く。

通された部屋は後宮で身分の低い者が入る
ことのできる限界の場所であった。
物珍しげに窓の格子から幾人かの宮仕えの
女童(めのわらわ)が覗き見しては卜部の質素
な旅装束の格好をみてクスクス笑っていた。

《たしかに居心地が悪い場所ね。》

内裏になど入れるとは思ってもいなかった
ぐらいだし、やんごとなき人々のこんな蔑
みは当たり前だと覚悟はしていたのでとく
にどうも思わなかった。

さきほどの女房がやって来た。

「魔除けの護符と薬を用意して下さいまし
たね。」「はい。この護符は更衣様の枕元へ
お願いいたします。邪の気を鎮めるものです。」
「それとこれが薬です。煎じて服用してくだ
さい。」「では早速。」
「あの、もし、よろしければ、この場でご
祈祷を致したいのですが。私は師、晴明の
教えを受け継ぐもの。病の平癒は師の願い
でもあります。」床に額をつけて懇願した。
女房は卜部の真っ直ぐで清い態度に感じ
入った。「・・・・・、わかりました、
典侍様に許可を頂いてまいりましょう。」


しばらくすると、さきほどの女房がやって
きた。「承諾を得ました。ご祈祷をおねが
いいたします。」
質素な身なりの女が大真面目な顔で几帳で
囲った空間でなにやら祈祷をしている。

物珍しそうに幾人かの宮仕えの下級女官が
さらにやって来て冷やかすようにひそひそ
していた。

《呆れるわ。バカにするのは構わないけど
・・・気がちるわ。》
卜部はさすがに彼女たちの行いに不快感が
わきあがった。せっかく身も心も清めた
はずなのに・・これじゃ・・。

「あなたたち!客人に失礼でしょ!」

ぴしっと空気を真っ二つに割るようなはじ
けた口調。山吹色の袿を着た勝ち気な瞳を
した美少女が腰に手をあて凛と立っていた。
「きゃっ!光の君!?」
「やだぁ叱られちゃったぁ〜〜〜!」
女童たちは寧ろその少女に声をかけられたこ
とを光栄に思うように散っていった。
光と呼ばれたその少女はまだ女童からようや
く女官になったばかりにみえた、
自分よりも幾つか年下だった。
女官というより、美少年の若武者を連想さ
せる颯爽とした空気をまとっていた。
「すみませんでした、お続けください。」
彼女は一礼すると袿を翻し、踵をかえすと
渡り廊下へ去っていった。卜部は今の清々
しい少女に救われた思いがした。
ようやく静かになった一室で卜部は一心に
祈っていた。


夜半を大部すぎたころ、ひんやりとした
空気が通りすぎた。

格子の向こうにちらちらと雪の影がみえた。
春先の湿った雪が水墨色の都を白く染めて
いた。


火桶を持った先程の光と呼ばれた少女が
やってきた。「失礼します。今宵は春の雪
で冷えます故に炭火を持ちました。」
炭櫃に炭をおいた。火箸で真っ赤な炭火を
一つ二つとつまみながら「更衣様の病が癒さ
れたらいいですね、私も病で臥せるのはいや
なんです。だから、よろしくお願いします。」

・・・・こんな女官もいるのか!

卜部は内心驚いた。
身分に分け隔てなく快い笑顔。
そのほほえみはおそらくこのどろどろした
後宮において誰彼も魅了するのだろう。
光、と言ったその少女は、まさに名前の
通り闇を切り開く朝の光ような少女で
あった。

「ありがとうございます。」卜部は深々と
礼をのべた。何故かふと、別の場所で彼女
と再開できるような星の導きのような感覚
を瞬時感じた。


光が出ていくと直ぐに、更衣付のさきほど
の女房がやって来た。

「更衣様が薬湯をお飲みになりました。
少し容体がよくなったのかぐっすりお休み
になられております。」
それを聞いて卜部は少しホッとした。
「あの薫りは橘ですか?更衣様がたいそう
お気に召したようです。」
「はい、橘の皮を薄く削いだものを乾燥させ
たものです。少しでも爽やかな気分になれる
ようにと思いまして。」
「そうですか。薬湯が苦手な更衣様いやがら
ずに飲み干しましたわ。」女房は感心した
ように微笑んだ。

格子のむこうではさらにちらちら小雪が
降っているのが見える。
燭台の光がその影を幻影のように描いて
いた。

「春先なのによく降りますこと、朝には
雪景色でしょうね。」女房は寒そうに炭櫃
に手をかざした。

卜部はふと、今頃、晴明の家であの子・・
松虫はどうしているのだろうと思った。
今まで考えたこともなかった。
《あ、私、あの子にきちんと御礼を言って
いなかったような。》

小雪の影を見つめながら帰ったらちゃんと
御礼を言おうと思った。
《きっと無表情だろうけどね。》

白々と夜が明ける。

「更衣様がお目をさましました。」
卜部はほんの短い間、睡魔に襲われていたが
その言葉にはっとした。

「え!?」
渡り殿を滑る様に女房が3〜4人、梅壺の舎に
流れていく。

「あなたのお薬と護符が効いたのか、お熱が
ひいて先程は白湯を所望されました。
お顔の色が昨日よりよくなられています。」
更衣付きの女房がそれを卜部に報告しに来た。

「いえ・・・更衣様がみずから病にお勝に
なられたのです。わたくしはそのお手伝い
をほんの少ししただけです。」
卜部はひれ伏し床に額をつけながら心から
安堵した。

「さすが、安倍晴明殿のお弟子さんですね。
お名前は?」
「卜部季武と申します。」
「まあ・・・・。男名!?」
女房は扇を口に当ててほほと笑った。

「少しずつお薬を煎じて服用をお願いいたし
ます・・。護符は常に更衣様をお守りするも
の。どうぞお心強くお過ごしくださいますよ
うと更衣様にお伝えお願いいたします。」
「ええ・・あなたの心があの薬湯には感じ
られましたわ。あなたのようなお弟子さん
をもって晴明殿もさぞお幸せだと思います。」
女房殿から何よりの言葉を賜り、
長かった一晩の疲れが癒された。

渡殿にでると、中庭で宮の中でもより幼い
女童たちが春に近いなごりの雪で「雪まろげ」
を作って、盆にのせ南天で目をいれたり椿の
葉で耳をつけたりして「兎!」と言っていた。
それを各舎の御簾の向こうから庭に出られな
い後宮の姫君たちがほほえましく眺めていた。

朝日が地面を温めるとぬかるんで歩きにく
くなる。卜部は日が高くのぼるまえに宮を
後にした。

門の前では昨日晴明を訪ねてきたあの青年
が深々と自分に頭を垂れているのが
見えたので卜部もまた一礼した。

都はにぎやかな朝の大路になりつつあった。
卜部はまっすぐ一条の安倍晴明邸に向かって
いた。

途中、ふと、楽しそうに雪まろげを作って
いた宮の女童たちの姿を思い出した。
「あの子は・・・こんなこと喜ぶのかしら?」

汚れのないところから新雪を手に取り、
丸めながら歩いた。やがて門が見えてきた。
卜部が近づくとぎいっと戸が開く。
重たい扉をおしてる小さな姿。

《松虫・・・》

白磁のように真っ白い頬が寒気のせいか
ほんのり桜色になっている。
瞳はあいかわらず真黒な深淵のようだ。

「ありがとう。本当にありがとう。あなたの
おかげでいろいろ助かったわ。」
卜部は松虫に精一杯の気持ちを込めて礼を
言った。「椿餅はとても美味しかったし、
橘の香りの葛湯は体があったまったし、
お薬はよいものができたし、あの恐ろしい
武人は私を守ってくれたわ!
あなたのおかげだわ!ありがとう。」

それを聞いていた松虫はいつも通りの表情
で卜部をみあげていたが、その瞳に柔らか
い光がほんのわずかに差し込むのを感じた。

「これ・・・作ってみたの。」
小笹の葉の上に雪まろげ。二つ重ねて椿の
葉の耳に南天の瞳。松葉の手を付けて・・
ウサギのようなタヌキのような・・・??

松虫はそれを見るとくるりと向うへ行って
しまった。

「あらあら。お気にめさなかったみたいね。
うーん、造形力がいまいちだものね。」
・・・・・卜部はちょっとガッカリした。

しかたないから下手な雪ウサギをどこかへ
処分しよう・・と思っていたら松虫が
小さな手に赤い椿の花を一つ手にしていた。

その赤い椿をちょこんと雪まろげでできた
ウサギのようなものの頭にのせた。
とたんにぱっと愛らしくなって思わず
二人で顔を見合わせた!

・・・・・瞬間だけ、松虫の瞳が笑った!

卜部もまた笑った。

----------------------陽光に残雪がきらきら輝く。
ことほぐ都の春はまもなくそこまで来ている。

                         
 <終わり>

※平安の風俗や制度・・時代考証など誤りが
たくさんあるかと思います
ご了承ください。
まだまだ勉強不足です。



無駄に長く、退屈なお話だったかもしれ
ません、最後まで読んでくださった方
ありがとうございます。